2025年12月26日 1901号
【シネマ観客席/手に魂を込め、歩いてみれば/監督 セピデ・ファルシ/フランス パレスチナ イラン/ 2025年 113分/ガザを生きる思いを撮り続け】
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イスラエル軍による破壊と殺戮が続くパレスチナ自治区ガザの現状を発信し続けたフォトジャーナリストがいた。彼女の名はファトマ・ハッスーナさん。その姿を約1年間に渡って追ったドキュメンタリー映画『手に魂を込め、歩いてみれば』が公開中である。
ビデオ通話を映画に
本作の監督セピデ・ファルシはイランのテヘラン生まれ。反体制活動で投獄された経験を持ち、18歳でフランスに亡命した。そこで本格的に映画を学び、映像作家の道へ。以来、パリを拠点に活動しつつ、イランの民主化運動にも力を注いでいる。
「現地のパレスチナ人の声が伝わってこない」。ファルシ監督は今回のガザ侵攻をめぐる主要メディアの報道にもどかしさを感じていた。「ならば自分が」とガザ入りを試みるが、イスラエルの妨害で国境を超えることができずにいた。
そんな時、パレスチナ人の友人からガザ北部在住の写真家ファトマ・ハッスーナを紹介される。彼女は当時24歳。ファテムの愛称で呼ばれていた。2024年4月、スマートフォンのビデオ通話で初対面。以来、ファテムはファルシ監督にとって「ガザの目」となり、ガザから出たことのないファテムにとって監督は「外の世界への窓」となった。年齢的に母と娘のような2人は、やがて深い友情で結ばれていく。
「ほぼ毎日続いた私たちのビデオ通話には、他の方法では決して捉えられない“生の真実”が詰まっていました。停電やネット障害、爆撃の合間を縫ってやり取りを続けました。時にはファテムが私に電話をかけるためだけに通信電波を探し、何キロも歩くこともありました。その努力には、自らが証人となり、ガザの現実を消し去らせまいとする強い意思が込められていました。『私はここにいる』と伝えるために」
スマホでのやりとりを映画にした思いをファルシ監督はこう語る。本作を観る者は、ファテムの言葉や表情、背景音などから「ガザでいま起きていること」を体感することになる。
死の世界に光を
ファテムは13人の家族をイスラエル軍の攻撃で亡くしていた。水道も電気も遮断され、「動物の餌」を食べて一家の命をつなぐこともあった。「チキンとひとかけらのチョコレートを食べること」が彼女のささやかな願いだ。
それでもスマホの画面越しのファテムは笑顔を絶やさない。苦しい状況を「私たちには強みがあるの。失うものは何もないっていう強みがね」と笑いとばすほど明るい。歌や自作の詩に託してガザの人びとの思いを伝えることも。
イスラエル軍のドローンが上空を飛び回り、同軍の狙撃兵がいたる所に潜んでいるガザの街頭でカメラを構えることは極めて危険な行為だ。それでもファテムは撮影を続けた。「私の頭の中で声がする。『ファトマ、撮れ!』『今しかない』と。できる限り、ガザの惨状を世界中に公開することで、皆には戦争の真実に向き合ってほしい」
映画タイトルの「手に魂を込め〜」はファテムの詩からの引用である。彼女の写真には「必ず被写体の尊厳が写っている」とファルシ監督は言う。「爆撃下にあっても彼女が撮る人びとはみじめに写らない。どんなに困難な状況でも彼らの美しさが残るのです」
パレスチナ人としての誇り、「この死の世界に光を見いだしたい」という強い思いが作品に反映されているのだろう。
外の世界への憧れ
だが、連日爆撃が続き、親しい人びとが次々に死んでいく異常な環境は、ファテムの心を蝕んでいった。何ごとにも集中できず、反応が鈍い。その変化はスマホの荒い画面でもはっきりとわかる。無理もない。彼女の幼少期からガザはずっとイスラエルに封鎖され、「天井のない監獄」状態が続いているのだから。
「外の世界」に行ってみたい。そこで写真をもっと学びたいとファテムは言う。「私たちは今、ガザという箱に閉じ込められていて、その内側しか見られない。箱の外にあるガザ以外の街で何が起きているのかを知るすべもない」
ファテムにとってファルシ監督との映画制作は夢への第一歩だった。カンヌ国際映画祭の招待作に選ばれたことをビデオ電話で伝えられると、「カンヌに行きたい。外の人に会ってみたい」と喜んだ。映画祭が終われば必ずガザに戻ることが条件だと何度も強調するところが彼女らしかった。その数時間後―。
カンヌ決定の翌日
2025年4月16日未明、ファテムは死んだ。イスラエル軍の精密誘導弾で自宅を爆撃され、就寝中の家族6人もろとも殺されたのだ。ガザでの活動中に殺害されたジャーナリストは200人以上にのぼる。ファテムも狙われた可能性が高い。
「イスラエルがガザで続くジェノサイド(集団殺害)を記録する『目』を系統的に潰そうとしているように感じる」。こう話すファルシ監督はジェノサイドに加担する国の政府を批判し、市民が反対の声を上げねばならないと強調する。
「観客が映画を観た後に、心が動き、疑問を抱き、何が起きているのかを知りたい、視点が変わったと感じてくれるなら――それはファテムの声が届いた証です。そして、それこそがこの映画が成し得る最も大切な成果だと思います」
一人のパレスチナ人として「私たちは人間だ。あなたがたと同じように」と訴え続けたファテム。「共犯国」の市民である私たちには応答責任がある。(O)

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