2000年10月06日発行659号

【生きてるうちに語らねば 52 草の根運動】

 ノートに朝のつぶやきを書き留めることを始めたとき、私は迷うことなく「草の根は叫び続ける」のタイトルをつけました。沖縄の良心を支える一般大衆、いわゆる草の根が叫び続けなければ、この沖縄の行方はどうなるのか、との思いでつけました。

   *   *    

 私は今まで、草の根の人々から多くのことを教えられ、励ましを受け、自らの肥やしにしてきた。

 婦連の時代、地域の総会に出かけていくと、おばあたちが「遠くからよく来たね」と抱きかかえるように迎えてくれて、「さあ、これも食べなさい、あれも食べなさい」と歓迎してくれる。そのとき、ふと思う。この人たちは沖縄戦でさんざん苦労してきたはずなのに、なんでこんなに素直で純情なのか。私がわずかばかりの学問をしたからといって、とてもこの人たちの足下にも及ばない、といつも思った。

 親だってそう。私の父はいわゆる地域のインテリだったけど、母はまったく字も書けなかった。それでも私はいまだに父母の足下にも及ばないと思っている。

 人に会っていると、いつも思う。この人はこの人なりの人生の苦労を重ねて、その人なりの人生哲学を持っている。みんな私にないものを持っている。私は本当にダメ人間だ。みんな私よりえらいじゃないか。

 こんな草の根の人々の息吹をすって、私はここまでこれたのだと思う。

   *   *    

 八二年に国連軍縮総会に行ったとき、ノーベル平和賞受賞者のノエルベーカーさんの講演を聞いた。「核だってミサイルだって人間が作ったものを打ち壊せないことはない。たたきこわすハンマーは民衆の世論だ」と言われた。この言葉を「草の根運動」の合言葉にしたことがある。

 運動は草の根を抱きかかえてすすまなければならない。決して草の根を裏切ってはいけない。

 県民会議は昨年十月に「県内移設反対の七十万人署名」を呼びかけた。いま中断している。

 ”七十万集めますと言っておいて、集めきれないから終わります”って、こんな恥ずかしいことがあるでしょうか。

 私は九月十八日に開かれた平和市民連絡会の総会のあいさつでもこう言った。「草の根に『どうせ』と言わせてはダメ。『さすが』と言わせなくちゃ」と。

 ”どうせ長続きしないよ””どうせ権力には勝てないよ”と民衆に言われるような運動は本当の運動ではない。”お見事、さすが”と言ってくれるのが、本当の草の根運動なのです。

(筆者は沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会事務局長)

         (終)

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