沖縄を代表する音楽家・海勢頭豊(うみせどゆたか)さんは、復帰前の激動期から今日に至るまで沖縄の社会状況と沖縄の心を歌い続けてきた。海勢頭さんに、30有余年にわたる音楽活動を歌に託して書き綴っていただいた。(編集部)
『浜 木 綿』
1967年に作った沖縄的な歌としては初めての作品です。
琉球大学でギタークラブをつくって、アンサンブルで編曲したり教えたりしていましたが、クラシックギターを教えるだけでは飯が食えず、米軍のクラブなどで演奏していた時代です。
当時、日本ではフォークソングがブームになっていて、「フォーク村」というのが沖縄にもできました。その「フォーク村」のコンサートにゲストに出てくれと言われて、作ったのがこの「浜木綿(はまゆう)」です。クラシック音楽に憧れていましたが、沖縄の歌を作るのならと短調と琉球旋律を組み合わせたものにしました。
沖縄の方言で離島苦のことを<島ちゃび>といいます。地理的ハンディや台風、旱魃などの苛酷な自然条件に加えて、物価高や医者不足など社会的要因もありました。
そんな島に生きる娘の心を歌にしました。
過疎化した島の海は切なく眩(まぶ)しく美しく、帰らぬ人を恋い焦がれるように、浜木綿が咲いていたのです。