2001年06月15日発行693号

ロゴ:沖縄戦後史のメロディ 海勢頭 豊
第9回『山鳩』〜罪なき子の犠牲に歴史の郷愁

『山鳩』

宮古島・東平安名岬
写真:宮古島・東平安名岬

 宮古島出身の友人から幼い頃の話を聞きながらできた作品です。

 宮古島は平たい島ですが、こんもりとした森があちこちにあり、夕暮れになると山鳩の鳴き声がもの悲しく聞こえたものだといいます。その山鳩の鳴き声は貧しい時代に間引きされ村外れの松林の中に埋められた赤子の、母を恋う鳴き声でもあるというのです。

 1977年にこの歌を作ったときは、歌詞は一番だけでした。二番の歌詞をつけ加えたのは、86年に起こったソ連のチェルノブイリ原発事故のあとです。

 前代未聞の原発事故による放射能汚染の実態は、その後の現地からの報告やテレビ報道などで次第にその惨状が明らかになっていきましたが、報道より先に、いち早く(90年〜91年)救援コンサートを沖縄、名古屋、奈良で行い、白ロシアのミンスクと汚染地区のゴメリの病院に直接医薬品を届けに行きました。なによりも痛ましかったのは、病院のベッドで死に直面する罪のない子どもたちの姿でした。

 人間が人間らしく生きられる社会を夢見て革命したはずのソ連でしたが、原発事故が起こり、貧しさ故にやがてはそのソ連も崩壊していったのです。間引きの風習が残っていた過去の時代だけでなく、現在でも罪のない子どもたちが犠牲となっていく、かつての希望の大地に。なんとも言えない胸の高鳴りを覚え、歴史の郷愁を感じたのです。

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