2000年06月02日発行642号

【生きてるうちに語らねば 35 英語版アメリカへ】

 一フィート運動の会は、県内外からのカンパによってアメリカ国立公文書館から購入した記録フィルム百六十三本をもとに、一九八六年五月に記録映画『沖縄戦未来への証言』を完成させ、各地で記念上映を展開しました。

 会では、『未来への証言』初公開の時点から、このフィルムを通して沖縄戦の「教訓」を、沖縄戦を引きずって今に至っている沖縄の「現実」を世界に訴えたいという強い願望をもっていました。

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 「SSD[3](第三回国連軍縮特別総会)の開催が決定した。”沖縄戦の教訓”と”沖縄の現実”を世界に訴える最高のチャンスだ」と、運営委員会で話題になったのが八七年秋の頃。

 『未来への証言』の英語版の製作は二年来の懸案であったが、SSD[3]が八八年六月にニューヨークで開催されるとの情報に、いよいよ製作に拍車がかかった。そして、八八年五月中旬に完成、十九日には東京現像所から一フィート運動事務局にフィルムが届いた。

 五月二十五日、那覇市内で英語版の試写会を開催。「テレビや新聞で知りました」「友人に聞いて来ました」と、関心の高い多くの方々が鑑賞にきてくれた。

 終了後、多数の方々が感想を述べられたが、その中に建築関係で来県中の一人のインド人女性がおられた。マイクを握った彼女は「私は、広島・長崎の原爆は知っていた。しかし、これほど悲惨な戦争が沖縄であったとは」と絶句。両手で顔をおおって席にもどられた。「帰国のときには買い求めてインド国民にも是非見せたい」と、隣席の人に語ったと後で聞いた。

 沖縄戦の実相は国外ではほとんど知られていないのだ。在米県人をはじめ多くの諸外国人にも見てもらわなければ。国連行動に燃えている私たちには、さらに油を注がれた思いであった。

 五月二十七日、一フィート運動事務局は、完成した英語版をニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンジェルス、ホノルルの四都市の沖縄県人会長あてに郵送した。一フィート運動代表団の行動日程と英語版解説のチラシも同封した。

 国連に贈呈するフィルム一本は万全を期して手荷物にすることとした。一世のみなさんたちの「日本語版も見たい」との希望もあり、日本語版一本も手荷物にした。

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 こうして、八八年六月四日,私が要請団長となった五名の一フィート運動国連要請団と地元新聞社からの同行記者二名が、アメリカへ向かって飛び立ちました。二週間におよぶ旅が始まったのです。

(筆者は沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会事務局長)

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