2000年06月16日発行644号

【生きてるうちに語らねば 37 ロスからハワイへ】

 日青協(日本青年団協議会)のご配慮で国連本部に記録映画『沖縄戦未来への証言』英語版を贈呈することができた一フィート運動国連要請団は、一週間のニューヨーク行動を終えて八八年六月十二日にサンフランシスコ入りしました。ここからロサンゼルス、ホノルルに至る五日間は、一フィート運動の会としての独自の行動です。

 どの都市でも、県人会主催の「映画と交流の夕べ」が周到に準備され、会場には一世から四世に至る日系人だけでなく外国人の姿もあり、国際的な上映会となりました。

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 ロサンゼルスでは、中華料理店の二階広間で「上映と交流の夕べ」を催してくださった。

 ここでも日本語版を上映したが、悲惨な戦場の場面にのどをつまらせて見入っておられた。

 「よい仕事をしてくれた。次は二時間ものを作って持ってきてね」と、肩を抱き頬ずりする一世。「こんなむごい戦争だったとは」と声をつまらせ、「みんなに見せなくては」と語る三世四世たち。地元沖縄以上に沖縄の心をもち続ける在米県人たちにここでも胸打たれた。

 最後の上映地はハワイのホノルルだ。会場には外国人の姿が目立った。

 ここは会の進行もすべて英語であった。美術館の大きなスクリーンの迫力ある画面に英語のナレーションが流れた。

 会場最前列の中央に白人の老婦人が陣どってスクリーンを凝視していた。映画がすむと、彼女は私の側へ来て通訳を通して語った。「何をいまさらここでジャップ(日本人の蔑称)の戦争映画などをやろうというのか、私は少なからず抵抗を感じて見にきた。しかし、見ているうちに私の考えは変わった。悲惨な戦争に巻き込まれる住民の姿に胸がつまった。世界中の人々に見せるべき」と、涙をおさえて立ち去った。

 沖縄の私たちが沖縄戦にこだわり続けるように、「パールハーバーを忘れるな」はホノルル市民の胸に底流しているのだ。真珠湾の奇襲攻撃で肉親を失った日系人も少なくない。しかし、それを語りたがらないのだ。国際化が進む中で再び戦争ともなれば加害者にも被害者にもなる度合いはいっそう深刻になるであろう。そんな思いが去来した。

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 私たちは『沖縄戦未来への証言』の上映と、団員による戦場体験の証言を通してアメリカの各地に反戦平和の草の種を播き続けてきました。それが発芽して丈夫な根をしっかりと張るよう県人会や他の平和団体と連携交流を密にしなければならない。そんな思いを抱いて帰途に着いたのでした。

(筆者は沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会事務局長)

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