2000年09月01日発行654号

【生きてるうちに語らねば 47 心に根ざせ「県民投票」】

 一九九五年十月二十一日、米兵による少女暴行事件を糾弾する県民総決起大会に八万五千人余が参集し決議したのは次の事項でした。

 ・日米地位協定を早急に見直すこと・基地の整理縮小を促進すること。

 二十四日には代表団が決議事項を携えて上京。日本政府とモンデール駐日米国大使に申し入れをしました。さらに、米国訪問団を編成して要請活動も展開しました。

 それから一年近く、日米両政府からは目に見える形での答えがないどころか、日本政府には冷ややかささえ感じられました。そうした流れの中で、再び強硬に訴えるしかないと盛り上がったのが「県民投票」です。

   *   *    

 九六年六月二十一日、沖縄県議会臨時本会議は「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する県民投票条例案」を賛成多数で可決した。都道府県レベルで住民投票条例が制定されたのは初めてのことだ。

 八月二日、「県民投票」を成功させる推進協議会結成総会が開かれ、各種団体代表六十人余が参集した。かつてない行動に立ち向かう決意が参加者の顔にあらわれて身の引き締まるような会場であった。

 私は投票率百%を期待した。低いことで絶対見くびられたくなかったからだ。

 私は基地の写真入りのはがきを買い込んで暑中見舞いを書き続けた。「九月八日の県民投票絶対お忘れなく」と書き添えた。

 推進協議会の出したビラを隣近所に配り、ポスターを自治会の掲示板にはったりした。「県民投票を成功させ平和な沖縄をとりもどす市民連絡会」のビラが刷り上がり、土曜日毎に大勢の会員が街頭で情宣活動を続けた。

 最後の九月七日、日が傾きかけた頃、手許のビラは二枚になった。前を通りかかった小学六年生くらいの二人連れの男の子を呼び止め、「最後の二枚、あなたたちにあげよう。歴史に残る大事なことだから日記帳にはっておいてね」と言って渡した。二人は大きな瞳でまともに私の顔を見つめた。

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 九月八日、夜の九時すぎ開票速報が出た。投票率五九・五三%、「基地縮小」賛成八九%。

 投票率は私の願望には及ばないが、「基地ノー」の中身は百%に近い。

 今度の県民投票に取り組んだのは有権者だけではなかった。県下の各高校生は自主的に模擬投票を実施して関心の高さを示した。

 そればかりか、昨年の少女暴行事件以来、沖縄県民の怒りの声に呼応して支援し続けた全国の平和運動団体も広い範囲で模擬投票を実施してくださった。その結果をわざわざ沖縄県庁まで届けてくださった団体もあった。

 基地の整理縮小の要請に冷ややかだった政府に比べ、国民が動いた。草の根が動いたのです。

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