一九九六年三月七日、病院で診察の順番を待っていると、海兵隊三兵士による少女暴行事件の判決がテレビニュースで流れました。二人に七年、一人に六年六か月の刑。私は思わず「軽すぎる、終身刑にすべき」と、テレビに向かって声をあげました。待合室の老若男女の視線を感じて、室内を見渡しました。皆、硬い表情で「同感」と意思表示しているように見受けられました。
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隣席の老婦人は「この五十年間、私たちはこのような屈辱的な報道をどれだけ見聞きしてきたことか。今度は極刑をと願っていたのに。刑が軽いと彼らはまたやるよ。基地ある限り」と吐き出すように言われた。
翌日の地元新聞は「米兵暴行事件判決に思う」と社説を掲載した。その中に次のようなくだりがあった。
「『刑が軽すぎる』という反発は当然であろう。それは那覇地裁に責任があるわけではない。男尊女卑時代の名残がある現行法では強姦罪は強盗罪より刑が軽く位置づけられているからである。従って性暴力に対する認識を改め、法改正をしない限りこうした判決は続くとみなければなるまい」。
久しく目にも耳にもしなかった「男尊女卑」という文字をじっと見つめていた。それが刑法の上で今に生き残っているとは。
これまで長くて三年どまりの強姦罪の判例に「どうして?」と疑問をもちながらも、そのよってくるところを突き止めようともせず、法の下では男女平等と口にしていた自らの不甲斐なさに唇をかんだ。
いたいけな一少女の悲しい犠牲がまたここでも女性たちの目を開かせた。法改正に多くの目が向けられるよう祈ってやまない。
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米兵事件裁判の四日後、米軍用地強制使用代理署名訴訟の第四回口頭弁論が開かれた。総理大臣が県知事を訴えるという前代未聞の裁判だ。県が申請した二十三人の証言者は却下され、当日は大田知事が被告人として出廷し、尋問を受けることになった。
被告席の知事は「代理署名拒否の理由」から説き起こし三十八項目にわたり三時間かけて証言した。
「それは、平和行政の長として歴史に残る感銘深い内容であった。提訴した原告の国側は一言の反対尋問もなし得なかった」と、傍聴席の声を新聞は報じた。
知事の証言が終わると裁判長は「結審」を宣告した。弁護団や傍聴席が騒然となった法廷で「判決は三月二十五日十時」と言い渡して閉廷した。
被告席の知事は「裁判官に求めたいこと」として、「我々は憲法で保護された当たり前に暮らす権利を訴えるだけ。他人の痛みを自らの痛みとし、単なる形式論ではなく、人間として理性に基づき、実質的内容に立ち入って自ら判断して欲しい」と述べた。
しかし、その思いは届かなかった。判決は、知事に代理署名を命じたのです。
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