2000年09月22日発行657号

【生きてるうちに語らねば 50 みそひともじ】

 断続はありましたが、私は長年メモ程度の日記をつけてきました。その末尾にときおり短歌まがいの一首を書き添えることもありました。

 それが二首となり三首となる日もあります。私の中のいのちの残り火が、かすかな光を放ったということかしら、と妙な気持ちになり、日記の一部にすぎないその”みそひともじ(三十一文字)”がいとしくなってきています。

   *   *    

 一九九七年四月、米軍用地特措法が改悪された。これはそのとき記したもの。

四・十七 参議院本会議
 「賛成の方」なだれて立ちぬ参議院 立たぬ人見つけん画面に喰い入る

 かすかなる期待をかけし良識の府 片思い悲し沖縄の心

 もの言えば捕われる身の仕組みなる 末恐ろしきひとこまを見ぬ

四・二十八 「屈辱の日」
 切り離し質草にせし日忘れたか 我ら忘れじ「屈辱の日」

四・二十九 怒りの四月
 したたかな怒り鎮める術にせん 文学にならぬみそひともじを

四・三十 撞着
 踏まれても蹴られてもなお片思い 沖縄の心なぜに素朴なる

   *   *    

 戦後、反戦平和運動を続けてきた東京の老婦人は

 徴兵はいのちかけても阻むべし 母・祖母・おみな牢に満つるとも(朝日歌壇)

と詠んだ。この歌が沖縄にも伝わってきて私たちも感動させた。

 沖婦連で活動していたころ、一時那覇市内に帰郷しておられた米国在住の山川ハナさんをお訪ねしたことがあった。第二回国連軍縮特別総会(一九八二年)要請団として渡米した際、お世話になったお礼も申し上げたかったからである。話がはずんだあと山川さんは「あなたたち、徴兵制度はからだを張ってでも反対しなければなりませんよ」と言われた。

 彼女は一世移民として語り尽くせぬ苦労を重ねた。生活が安定したころ、今次大戦で敵国民として収容所送りとなった。一世移民たちが大切に育てあげた息子たちは二世兵士としてヨーロッパ戦線の最前線に送られていった。彼女の親類や知人の子たちも出征した。

 東京で永年平和運動を続けた老婦人と、一世移民としてアメリカで苦労した沖縄出身の老婦人が期せずして同じように「徴兵はからだを張って阻め」と言われた。襟を正したくなる響きであった。

 「祝入営」「祝出征」と若い命を戦場に送り続けたこと、戦死者の母を「軍神の母」・戦死者の妻を「軍国の妻」と讃えたこと、大正・昭和を生きた者の胸中から消え去らない深い傷である。再びそのような傷をつくるまい。

 「徴兵はいのちかけても 阻むべし」

連載 ひとつ前へ
連載 ひとつ後ろへ

ホームページに戻る
Copyright FLAG of UNITY