2021年11月26日 1700号

【時代はいま社会主義へ 第10回 資本主義社会とそのイデオロギーの変化(3) 民主主義的社会主義は世界的な変革過程を経る】

 第8回「資本主義社会とそのイデオロギーの変化(1)」で述べたように、社会主義的な変革の試みは、資本主義の発展段階に応じて異なる条件に直面します。そして第9回の(2)で述べたように、現在の資本主義はグローバルな資本主義として把握されます。そのグローバルな資本主義は、民主主義的社会主義を建設する運動に対して新しい試練を課しています。すなわち、社会主義の建設はもはや一国だけの変革をもってしては困難になっており、MDS綱領の言葉でいえば「世界的な変革過程」でなければなりません。この点は、テキスト『民主主義的社会主義をめざして』の第2章第X節でも強調されています。

 一国のみによる社会主義建設の試みがグローバル化する資本主義のもとで直面する困難は、フランスのミッテラン政権の政策転換において如実に示されました。

 社会党のF・ミッテランは、1981年5月の選挙で大統領の座に就き、同年6月の国民議会選挙の結果を受けて社会党と共産党の連立政権を発足させました。同政権はただちに「一国社会主義」ともいうべき政策を打ち出します。すなわち同政権は、法定最低賃金の引き上げ、家族手当や年金の引き上げ、雇用および投資への援助、富裕税の新設といった需要喚起・所得再分配政策と、国際競争にさらされている50以上の企業や銀行の国有化とを掲げたのでした。

 ところが1982年に入ると、需要喚起策による輸入の急増と貿易赤字の拡大、インフレの進行などをきっかけとして、通貨フランの急激な下落が起きました。先進国の通貨体制は1973年から変動相場制へと移行し、資本移動の自由化はすでに1974年以降に進行していました。ですからフランスの経済はすでに、自由化されたグローバルな金融市場の監視と投機にさらされていたのです。このためミッテランは、「一国社会主義」的な政策の「休止」を1982年に早くも宣言し、緊縮財政と賃金凍結を実施するはめになりました。

 このフランスの例とは少し異なりますが、2015年の総選挙で政権の座に就いたギリシャの左派政党であるシリザが出くわした財政・金融政策上の難局もまた、一国による進歩的な政策をとり巻く制約を明らかにしました。

 右派政権が財政赤字の規模を過小に公表していたことが発覚して勃発したギリシャの債務危機を受け、債務の返済が困難になったギリシャ政府は、IMF(国際通貨基金)や欧州中央銀行からの融資を受けました。この融資にはしかし、ギリシャ政府が増税、年金削減、公務員の賃金削減、公共投資の縮小、公益事業の民営化といった新自由主義的な緊縮財政政策を実施することが条件として付されていました。シリザは、この緊縮政策の撤回を訴えて総選挙で勝利します。ところが、2015年6月の国民投票でもIMFとEUの緊縮政策案への反対票が賛成票を上回ったにもかかわらず、ドイツのメルケル政権をはじめとするギリシャ国債の債権国政府の圧力のもとでシリザ政権は緊縮政策を受けいれざるをえなくなり、2019年7月の総選挙でシリザは敗北し右派に政権を奪われました。

 フランスとギリシャの経験は、社会主義的な政策の実施がグローバルな金融市場への国際的な規制や国際金融機関の抜本的な改革の同時実施を要求することを明らかにしたのです。

 このことは、社会主義建設の試みにとってのハードルが高くなったような印象を与えるかもしれません。しかし、必ずしもそうとは限らないのです。《続く》
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